自由とは他者から嫌われることである。「嫌われる勇気 自己啓発の源流”アドラー”の教え」第4回

 

 

 

こんにちわ

投稿をだいぶ
ご無沙汰していました。

 

それではさっそく行きましょう!


過去に支配されない生き方

 

 

 

哲人:どこがニヒリズムなのでしょう?

 

青年:考えてもごらんなさい。
要するに先生は、
人間の感情を否定されているわけです。
感情などただの道具にすぎないのだ、と。

しかし、いいですか先生。

感情を否定すること、
それは我々の人間性をも
否定せんとする議論です!

われわれは感情があるからこそ、
喜怒哀楽に揺さぶられるこそ、
人間なのです!

もしも感情を否定されるのなら、
人間は出来損ないの機械になってしまう。

これをニヒリズムと呼ばずして、
なんと呼びますか!

 

哲人:わたしは感情の存在を否定して
いるのではありません。

誰にでも感情はあります。
当たり前のことです。

しかし、もしも「人は感情に抗えない存在である」と
おっしゃるのでしたら、そこは明確に否定します。

我々は感情に支配されて動くのではありません。

そして、この「人は感情に支配されない」
という意味において、

さらには「過去にも支配されない」という
意味において、

アドラー心理学はニヒリズムの
対極にある思想であり、哲学なのです。

 

青年:感情に支配されず、
過去にも支配されない?

 

哲人:たとえばある人の過去に、
両親の離婚という出来事があったとしましょう。

これは18度の井戸水と同じ、
客観の話ですよね?

一方、その出来事を冷たいと感じるか
暖かいと感じるか。

これは「いま」の、そして主観の話です。

過去にどんな出来事があったとしても、
そこにどんな意味付けをほどこすかによって、
現在の在り方は決まってくるのです。

 

青年:問題は「なにがあったか」ではなく、
「どう解釈したか」であると?


哲人:まさに。

われわれはタイムマシンで
過去にさかのぼることなど出来ませんし、
時計の針は巻き戻せません。

もしもあなたが
原因論の住人になってしまえば、

過去に縛られたまま、
この先ずっと
幸せになることが
出来なくなります。

 

青年:そうですよ!
過去は変えられないからこそ、
この生は苦しいのです!

 

哲人:苦しいだけではありません。

過去がすべてを決定し、
過去が変えられないのであれば、

今日を生きる我々は人生に対して
なんら有効な手立てを打てなくなってしまう。

その結果、どうなりますか?

世界に絶望し、
人生をあきらめるようなニヒリズムや
ペシミズムに行き着くことになるでしょう。

 

※ニヒリズムとは・・・・
今生きている世界、特に過去および
現在における人間の存在には意義、
目的、理解できるような真理、
本質的な価値などがないと主張する
哲学的な立場である。

※ペシミズムとは・・・・
厭世主義、厭世観とも言う。
語源はラテン語で最悪のものを意味する
「pessimum」に由来する。
元来は哲学の分野で用いられる語で、
この世界は悪と悲惨に満ちたものだという
人生観をさす。反対語は楽天主義である。

~ウィキペディアより引用~」

 

トラウマの議論に代表される
フロイト的な原因論とは、
形を変えた決定論であり、
ニヒリズムの入り口なのです。

あなたはそんな価値観を
お認めになりますか?

 

青年:そりゃあ、私だって
認めたくはありません。

認めたくはありませんが、
過去の力は強いですよ!

 

哲人:可能性を考えるのです。
もしも人間が変われる存在だとするなら、

原因論に基づく価値観などありえず、
おのずと目的論に立脚せざるをえないと。

 

青年:あくまでも、「人は変われる」
を前提に考えよとおっしゃるのですね。



哲人
:もちろんです。

われわれの自由意志を否定し、
人間を機械であるかのように
見なしているのは、

むしろフロイト的な原因論なのだと
理解してください。

 


 

以上となります。
いかがでしたでしょうか?

「嫌われる勇気」は
今回で終わりとなります。

 

著書名「嫌われる勇気 自己啓発の源流”アドラー”の教え」
著者名「岸見 一郎 古賀 史健」
出版元「ダイヤモンド社」