自由とは他者から嫌われることである。「嫌われる勇気 自己啓発の源流”アドラー”の教え」第3回

こんにちわ

私も読みましたが
非常に感銘を受けました。

突然目の前の視界が開けるといった
感じでしょうか。

 

全ての悩みが人間関係に
帰結するという指摘にも
驚きましたが・・。


前回よりの続きです。

それでは、どうぞ。

 


 

人は怒りを捏造する

 

 

青年:昨日の午後、喫茶店で本を読んでいた時、
通りかかったウエイターは私の上着に
コーヒーをこぼしてしまいました。

買ったばかりの、
いわゆる一張羅です。

カッとなった私は、
思わず大声で怒鳴りつけました。

普段の私は、公の場で
大声を出すことなどありません。

しかし、昨日ばかりは
店中に響き渡るくらいの大声で
怒鳴り散らしてしまった。

怒りに駆られ、
我を忘れてしまったわけです。

さあどうです、
ここにも「目的」とやらが
入り込む余地はありますか?

これはどう考えても
「原因」ありきの行動でしょう。

 

哲人:つまり、あなたは
怒りの感情に突き動かされて、
怒鳴ってしまった。

普段は温厚な性格なのに、
怒りの感情に抗することができなかった。

自分にはどうすることもできない
不可抗力だった。

そうおっしゃるわけですね?

 

青年:ええ。あまりに突発的な出来事
でしたからね。考えるよりも先に声が
出てしまったのです。


哲人:では仮に、昨日のあなたが偶然刃物を
持っていたとして、カッとなったはずみに
相手を刺してしまったとします。

その場合も「自分にはどうすることもできなかった。
これは不可効力なのだ」と弁明できますか?


青年:そ、それは極論です!

 

哲人:極論ではありません。

あなたの理屈を突き詰めると、
怒りに駆られた犯行は全てが
「怒り」のせいであって、

当人の責任では
なくなってしまいます。

なにしろ、人は感情に抗うことは
できないとおっしゃるのですから。

 

青年:じゃあ、先生は私の怒りを、
どう説明するおつもりです?



哲人:簡単です。

あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」
のではない。ひとえに「大声を出すために、
怒った」のです。

つまり、大声を出すという目的をかなえるために、
怒りの感情を作り上げたのです。



青年:なんですって?

 

哲人:あなたには大声を出す、
という目的が先にあった。

すなわち、大声を出すことによって、
ミスを犯したウエイターを屈服させ、
自分の言うことを聞かせたかった。

その手段として、
怒りという感情を捏造したのです。

 

青年:捏造した?冗談じゃありません!


哲人:では、どうして大声を上げたのです?

 

青年:だからそれは、
カッとしてしまったからですよ。

 

哲人:違います。

わざわざ大声をあげなくても、
言葉で説明すればウエイターは丁重に
お詫びもしたでしょうし、

きれいな布巾で拭き取るなど、
しかるべき措置もとったはずです。

あるいはクリーニングの手配さえ
してくれたかもしれない。

しかも、あなたは彼が
そうするであろうことを
心のどこかで予期していた。

にもかかわらず、
あなたは大声を上げたのです。

言葉で説明する手順を面倒に感じ
無抵抗な相手を、

より安直な手段で屈服させようとした。

その道具として、
怒りの感情を使ったのです。

 

青年:・・・・いや、騙されません、
私は騙されませんよ!

相手を屈服させるために怒りの感情を
こしらえた?

断言しますが、そんなことを考える余裕など
一秒たりともありませんでした。

私は考えをめぐらせてから
怒ったのでありません。

怒りとは、
もっと突発的な感情です!

 

哲人:そう、怒りは一瞬の感情です。

あるとき、母親と娘が大声を上げて
口論していたそうです。

すると突然、電話のベルが鳴りました。

「もしもし?」

慌てて受話器を取った母親の声には、
まだ怒りの感情がこもっています。

ところが電話の主は、
娘が通う学校の担任教師でした。

そうと気づいた途端、母親の声色は
丁寧なものに変化します。

そのままよそ行きの声で5分ほど
会話を交わし、受話器を置きました。

と、同時に再び血相を変えて
娘に怒鳴り始めたのです。

 

青年:別に、よくある話でしょう。

 

哲人:わかりませんか?

要するに、
怒りとは出し入れ可能な「道具」なのです。

電話がかかってくれば瞬時に
引っ込めることもできるし、

電話を切れば
再び持ち出すこともできる。

この母親は怒りを抑えきれずに
怒鳴っているのではありません。

ただ大声で娘を威圧するため、
それによって自分の主張を押し通すために、
怒りの感情を使っているのです。

 

青年:怒りは目的を達成するための手段だと?

 

哲人:目的論とはそういうことです。

 

青年:・・・いやはや先生、
あなたは優しそうな仮面をかぶって
相当に恐ろしいニヒリストですね!

怒りの話にしろ、
引きこもった友人の話にしろ、

全ての洞察が人間への
不信感に満ち満ちている!

 

 


 

以上です。

 

いかがでしたでしょうか?

怒りは、出し入れ可能な道具・・。
だいぶ驚きましたが。

さて次回は
「過去に支配されない生き方」です。

 

お楽しみに!

 

追伸:
「もういちどあの書籍を別の内容でリクエスト!」
「このブログの感想」などもお待ちしています。

 

著書名「嫌われる勇気 自己啓発の源流”アドラー”の教え」
著者名「岸見 一郎 古賀 史健」
出版元「ダイヤモンド社」