こんにちわ、まさやんです。
それでは今回は
エッセンシャル思考を持つに当たり
大事な「選択」について、です。
多くの仕事に追われながら
なぜ、終わりが見えないのか、と考えるあなたに。
選択-選ぶ力を取り戻す
我われを人間にするのは、
選択する能力である。
-マデレイン・レングル(作家)
~前文省略~
法律を学ぶことにしたのは
「つぶしが利く」と周囲に
言われたからだった。
卒業すれば弁護士として
開業できるし
法律関係の書籍執筆や
教師という選択肢もある。
企業向けに法務コンサルティングを
やってもいい。
何だって思いのままだ、
と言われていた。
入学後は自分の進むイメージができないまま
選択肢を広げるためだけに全てをこなした。
日中はずっと法律の勉強をし、
夜には経営の本を読み、
時間があれば文章を書く。
すべてを同時にやろうとしていたのだ。
その結果、
どれも中途半端になっていった。
とくに駄目でもないが
とりたてて良くも無い。
このまま選択肢を広げてどうするのかと、
だんだん不安になってきた。
そうした混乱の中
一本の電話がかかってきた。
アメリカに住む友人で
結婚式に来て欲しいという誘いだった。
なんと航空券もすでに
送ってくれたらしい。
私は喜んで招待に応じ、
予想外のアメリカ旅行に出発した。
アメリカ滞在中は時間に許す限り
教育や執筆関連の仕事をしている人々に
会いに行った。
そのなかである教育NPOの代表が
帰り際にふとこんなことを口にした。
「もしアメリカに住むことにしたら
うちのコンサルティングチームに
ぜひ力を貸してくださいね。」
その何気ないひとことが
私の心をとらえた。
問題は仕事の誘いではなく
その仮定のほうだった。
「もしアメリカに住むとしたら」
と彼は言った。
しかも、現実的な選択肢として。
そうだ、今いるところに
こだわる必要はないのだ。
私はエレベータに乗ってロビーに降り
そこにあった紙とペンを拝借してひとつの問いに
取り掛かった。
「もしもたったひとつのことしか出来ないと
したら、自分は今何をやるのか」
その結果、「法律」の文字は
どこにもなかったというわけだ。
別に法律に縛られる必要はないと
頭では分かっていた。
だが実際には、法律以外の選択肢なんて
ないのだと思い込んでいた。
選択肢を否定することによって
消極的な選択を引き受けていたのだ。
ロースクール以外の選択肢を締め出すことは
ロースクールを選ぶことと同じだ。
ただし、前向きな理由からではなく
仕方なく選ぶだけ。
そのことに気づいたとき、
私は初めて理解した。
もしも選択の自由を投げ出すなら
あとは人の言いなりになるしかないのだ。
2週間後、
私はロースクールを辞めた。
故国イギリスを出てアメリカへ渡り
執筆と教育のキャリアを歩みだした。
この本が存在してるのも
そのおかげだ。
このときの選択は
私の人生を大きく変えた。
何よりも選ぶという行為に対する
見方が大きく変わった
選択とは行動なのだ。
与えられるものではなく
つかみとるものだ。
選択肢は
かぎられているかもしれない。
それでも、
選択肢のなかから何を選ぶかは
いつだって自分次第だ。
あなたは
「もうどうしようもない、何の選択肢もない」
と、感じたことがあるだろうか。
「できる」せいで「やらなくては」が増えていく
ストレスを抱えていないだろうか。
自分で選ぶことを少しづつ放棄して
いつのまにか誰かのいいなりになっていないだろうか?
大丈夫、まだ諦める必要はない。
「選ぶことを選ぶ」
私たちは長い間、
選択の外的側面(どんな選択肢があるか)
にばかり目を向けて
選択の内的側面(選ぶ能力)を
見過ごしてきた。
この違いは重要だ。
選択肢(物)を奪うことが出来ても
選ぶ能力(自由意志)を奪うことは不可能である。
選ぶ能力は誰にも奪えない。
ただ、本人が手放してしまうだけだ。
以上です。
選ぶ能力(自由意志)を
奪うことは不可能・・。
確かにその通りですね。
それではまた次回。
著者名:エッセンシャル思考
最小の時間で成果を最大にする
著者名:グレッグ・マキューン
訳:高橋 瑠子
出版元:かんき出版
より一部引用しました。