他人のあら探しは、何の役にも立たない。

こんにちわ、まさやんです。

人生に役立つかもしれない知識を
書籍からちょこっと拝借して、
備忘録代わりにブログを書いています。

他人ってなかなかこちら側の思い通りに
動かないですよね。

なだめすかしたり、それでダメなら、
頭ごなしに怒鳴りつけたり。
(相手のモチベーションをかなりダウンさせたり
じゃあ仕事辞めます、と言われる一番最悪の方法ですが)、

又は、君最高だね、と持ち上げたり。
(これも誰もいない薄暗い廊下の片隅で
嫌いな上司や同僚にボソッと言われても、
あまり効果はない気がしますが・・)

「ウチのお店のスタッフ
俺の言うことあまり聞かねーし。
じゃ、どーすりゃいいのよ。」

そんなあなたに
先人の知恵をお届けいたします。

ぜひ参考にしてくださいね。

それではどうぞ。

”「俺は働き盛りの大半を、
世のため人のために尽くしてきた。

ところが、どうだ、俺の得たものは、
冷たい世間の非難と
お尋ね者の烙印だけだ。」

と、なげいたのは、かって全米を震え上がらせた
暗黒街の王者アル・カポネである。

カポネほどの極悪人でも、
自分では、悪人だと思っていなかった。

それどころか、自分では
慈善家だと大まじめで考えていた、

世間は、彼の善行を
誤解しているのだと言うのである。

ニューヨークでも第一級の悪人ダッチ・シュルツにしてもそうだ。

ギャング仲間の出入りで命を落とす前のことだが、
ある新聞記者会見の席で、

シュルツは、
自分のことを社会の恩人だと称していた。

実際、自分ではそう信じていたのである。

そんな極悪人たちでさえも、
自分が正しいと思い込んでいるとすれば、

彼らほどの悪人ではない一般の人間は、
自分のことを、いったいどう思っているのだろうか。

「三十年前に、
私は人をしかりつけるのは愚の骨頂だと悟った。

自分のことさえ、
自分で思うようにはならない。

神様が万人に平等な知能を
与えたまわなかったことにまで
腹を立てたりする余裕はとてもない。」

といったのは、
アメリカの偉大な実業家ジョン・ワナメーカーである。

ワナメーカーは年若くして
この悟りに達していたのだが、

私は、残念ながら、40歳近くになってやっと、
人間はたとえ自分がどんなに間違っていても

けっして自分が悪いとは
思いたがらないものだいうことが、
わかりかけてきた。

他人のあら探しは、何の役にも立たない。

相手は、すぐさま防御体制を敷いて、
なんとか自分を正当化しようとするだろう。

それに、自尊心を傷つけられた相手は、
結局、反抗心をおこすことになり、
まことに危険である。

他人の欠点を直してやろうという気持ちは、
確かに立派であり賞賛に値する。

だが、どうして、まず自分の欠点を
改めようとはしないのだろう?

他人を矯正するよりも、
自分を直すほうがよほど得であり、
危険も少ない。

利己主義的な考えで考えれば、
たしかにそうなるはずだ。

死ぬまで他人に恨まれたい方は、
人を辛らつに批評していればよろしい。

その批評が当たっていればいるほど、
効果はてきめんだ。

およそ人を扱う場合には、
相手を倫理の動物だと思ってはならない。

相手は感情の動物であり、しかし偏見に満ち、
自尊心と虚栄心によって行動するということを
よく心得ておかねばならない。

人を批評したり、非難したり、
小言を言ったりすることは、
どんなばか者でも出来る。

そしてばか者にかぎって、
それをしたがるものだ。

理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心を
そなえた人にして初めて持ちうる徳である。

英国の思想家カーライルによれば
「偉人は、小人物の扱い方によって、その偉大さを示す。」

人を非難するかわりに、
相手を理解するよう努めようではないか。

どういうわけで、
相手がそんなことをしでかすに至ったか、
よく考えてみようではないか。

そのほうがよほど得策でもあり、
また、面白くもある。

そうすれば同情、寛容、好意も、
おのずと生まれ出てくる。

全てを知れば、全てを許すことになる。

英国の偉大な文学者
ドクタージョンソンの言によると

「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる。」

ましてわれわれが、それまで待てないはずがない。

人を動かす原則1:批判も避難もしない。苦情も言わない。

以上です。

これはあの名著「人を動かす」著者:D・カーネギー(出版:創元社)
より一部抜粋させていただきました。

上記の文章を読まれて

「っていうか、俺、別に人間できてねーし、
こんな風に考えられねえよ。」

と思われた方もいるかもしれませんが、

(なんで、アイツあんなことやったんだろう・・、
別に理由があるかもしれん・・。ちょっとさりげなく聞いてみるか・・。)

という方向へ少しでも考えられるヒントにでも
なればいいなと思っています。

それでは、また。